できっこないをやらなくちゃ

早稲田大学文学部中国語中国文学コースのキャプテンが綴る日常と非日常

できることからやらなくちゃ

恥の多い春休みを送ってきました。

自分には、長期休みを有意義に送るということが、見当つかないのです。やるといっていた中国語の勉強もろくにせず、教習所にもろくすっぽ通っていません。

台湾研修から帰ってきてからというもの、毎日怠惰な生活を送り、することといえば、オナニーとクレヨンしんちゃんの映画を見ることくらいです。

夜は相変わらずフライングガーデンで働いています。働き終わると、家に帰ってクレヨンしんちゃんの映画をみて、途中で、AVで抜いて、そしてまたクレヨンしんちゃんの映画を見て途中で寝落ちします。

そして朝起きると昼です。12時は軽くすぎています。この世に朝という概念は存在しないかのように思えます。アラームをかけない生活というのはあまりにも素晴らしすぎます。そして、クレヨンしんちゃんの映画を最後まで見て、満足すると、また眠ります。二度寝三度寝どころの騒ぎではありません。七度寝はします。もう身体も睡眠を求めていません。しかし、何もから逃げて僕は眠り続けます。

夕方五時になるといい加減目を覚まして急いでシャワーを浴びます。そして髭を剃って髪の毛をセットしてチャリをかっ飛ばしてバイト先に向かいます。そしてまた爆弾ハンバーグを運ぶのです。

そうそう、自分はつい先日ハタチになりました。ハタチになってからというもの、どういうわけか、文章を書く気にも読む気にもならず、何も考えないで生きていました。そして残ったのは言い様もないモヤモヤ感です。だから僕はこうして焦ってもがきながら文章を書いているのです。たぶん文章を書かないと自分は死ぬまでモヤモヤするんです。

ハタチになってから、と言いましたが、正確にいうとハタチになる前から文章を書く気になりませんでした。というのは僕は自分の書いてきた文章を見返してさめた気持ちになってしまっていたのです。自分は、19歳の夏からなんだか人が変わったかのように生きていました。過激な思想をかかげ、そしてホリエモンや箕輪孝介といった人間の影響を多大にうけ、「何者」かにならなければいけない、そのために他の人とは違う個性を見つけなければいけない、そんな風に考えていました。そしてそれからというもの、バカみたいにヒッチハイクを重ねたり、一人で色んなところに旅に出ました。もちろん旅は毎回刺激的で面白いものでした。それは別に全く否定しません。しかし、僕は自分探しばかりしていたような気がするのです。色んなところに旅に行くことで存在し得ない自分を見つけようと躍起になっていたのです。自分探しの旅なんて言って、一人旅しても別に自分なんて見つかりません。僕は本当の自分を押し殺して、もう1人の過激な自己を見つけてしまいました。そしてあたかもその人格が本当の自分であるように思い込み、そして周りの人間に思い込ませました。

今、僕に求められていることは自分探しではなく、自分なくしなのだと思います。繕ってしまった虚像の自分をなくすことで、本当の自分を取り戻せるような気がするのです。

でもここで1つ考えなければいけないことは、そのもう1人の人格は果たして本当に虚像だったのかということです。虚像にしてはあまりにも出来すぎていた気がします。きっとそれは決して偽りの自分ではなかったのです。自分の中にそういった自己は確かに眠っているのです。でも自分は、その「自分」でいることに大変嫌気が指しているのです。

僕達は別に「何者」にもならなくていいと思うんです。「一度の人生だから何者かにならなければいけない」という言葉に対して僕達はこう反論できます。「一度の人生だから何者かにならなくていい」

アルコールを取ってきます。

人と違うってそんなにいいでしょうか。普通ってそんなに嫌なものでしょうか。

自分は「普通」という言葉を極端に恐れて、「特別」であろうとしました。

でもよく考えてみれば、自分は普通の家庭には生まれず、何度もそのことで悩んできました。父は精神病を患っていて、そしてそれが原因で何度も中国人の母親と僕は泣いてきました。

だからこそ自分はあんなに必死になって大学受験の勉強をして、それで‘ いいところ’に就活して、お金を稼いで母親を楽にしたいと思ったのです。それがいつからかくだらない意識高い系の人達の意見に惑わされ、普通の人生を送ることを拒絶しようとしていました。

でも自分は普通に結婚して暖かい普通の家庭を築きたいのです。そして子供を2人作って、その子供のために毎日足を臭くしながら文句言いながらビールを飲みたいのです。僕の理想は野原ひろしです。野原ひろしが1番かっこいいんです。

僕は以前大人になった時に「あの頃はよかった」だなんて居酒屋で語ってるオヤジにはなりたくないと言っていました。でもそれは違いました。学生時代を懐かしく語る時間って全然ダサくなくて、すごい素敵な時間に思えませんか。

「できっこないをやらなくちゃ」といってたくさんの「できること」を無視して19歳を生きました。その結果すぐ身近な人間をたくさん傷付けました。100人から嫌われても1人から好かれたらいいだなんて当時は言っていましたが、人に嫌われるということはやはり相当心にくるものです。

その人たちに素直に謝ることができればいいのでしょうが、自分にはその勇気がありません。

「できっこないをやらなくちゃ」なんて言いながら、謝ることもできないなんて笑うこともできません。ハタチになった今、自分に求められているのは「できっこない」をやることではなく、「できること」を一つ一つ一生懸命にこなしていくことです。

オトナってのはなろうとしてなるものじゃなくて気が付いたときになってるものなんでしょうか。自分にはまだまだわからないことばかりで、まだまだクソガキです。遊戯王を毎日友達とやってたちんげが生えてなかったあの頃となんにも変わっていません。

とにもかくにも僕はささやかな日常を吐きそうになるくらい大切にこれから過ごします。

というわけでオトナ帝国見直してきます。

 

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ピース。